カタシロのメモ/超バレあり
以前通過したカタシロについてのメモ
(シナリオについて大言及しています。ほぼ全部書いてます。
通過された方、内容把握している方のみお読みいただけたらと思います)
探索者:田田砂取(でんでん さとり) 24歳
真面目で物静かな書店員。
と見せかけて、実は書店の店長のストーカー。
店長を追いかけて入店し、
店長への執着が気持ちの悪いものであることは自覚していて、
周りに悟られまいと常に無表情を心がけている。
店長が生きている現世においてなるべく長生きすることが目標で、
食事内容を「はなまる」という健康管理アプリに記録している。
毎日ログインすることでアプリのカレンダーに花丸を押してもらう
店長という存在以外の唯一の生き甲斐である。
1、囚人のジレンマ
田田の答え:黙秘
医者の答え:自白
→私が10年牢屋行き。
・黙秘を選んだ理由
もし私が自白を選んで医者が黙秘を選んだ場合、
自分の「恨み」は自分でディテールが把握できるけど、
(正直緊張していてちゃんと図を読めてなかった。
(それでも、今訊かれても多分黙秘すると思う)
2、テセウスの船
(以降まとめるの難しかったのでほぼ書き起こし)
田「同じ船じゃないですか…?
医「なるほど。君は船と人間は同じだと思うんだね」
田「船が人間みたいっていうよりかは、人間が物体、だと思う。
医「なるほど。じゃあ君は、
田「……構造?」
医「というと?」
田「ちっちゃいパーツひとつひとつは違うものでも、
医「考えを変えたいならそれでもいいよ」
田「だってこの話って、
医「君はそれは違うものだと思うのかい?」
田「まず私という田田砂取がいて、目の前に全く同じ構造の田田砂取がもうひとついたとしたら?
医「じゃあ君の最初の話とは相反するね」
田「ちょっと待って。もうちょっと粘らせて」
医「ゆっくり考えよう」
田「オリジナルとレプリカの違い、
医「オリジナルにしか宿らない、魂のようなものがあると?」
田「って思いたいけど、そんなものが自分の中にあるとも…
医「今の話を船に置き換えて、
田「テセウス2号って思うかも」
医「ということは同じではない、と」
田「はじめのひとつであるかどうか…ってことなのかな」
医「話を整理してみると、
田「うん…先生、これ私めちゃめちゃ破綻してませんか」
医「まあ人間の考えというのはそう簡単にまとまらないものだ」
田「先生はどう思うんですか?」
医「私は、
田「わたし田田砂取の記憶ないんですけど、じゃあ私、
医「君はなかなか難しいことを言うね。
田「そっか…置き換わってなくてよかった」
医「ははは」
2と3の間
・何か思い出したことはあるか?という問いに対して
田「手。多分本屋で働いてたんだろうなって思うんだけど、
片桐(入院してる子)「すごく断片的に思い出されたんですね。
田「怖くない?その人」
片「僕、医者になるのが夢なので、
田「ありがとう。客は多いほうがいいからね」
片「僕としては客じゃなくて友達として…」
田「ごめんなさいそれけっこう片思いだったかも」
片「…じゃあ書店員と客でいいので、
3、臓器くじ
田「この人くじに当たらなかったら健康なんですよね?
医「健康だね。くじは死刑囚に当たるかもしれないし、
田「え…だめじゃない?」
医「健康な人が殺されるから?」
田「
医「そうだね」
田「臓器移植が必要な患者さんっていうのは、
医「そうか。じゃあ君は移植を待っている人間たちは、
田「そう思う」(
医「なるほど。
田「同じ回答。絶対」
医「じゃあ君がくじに当たったとしたら?
田「嫌」
医「自分が死にたくないから?」
田「命を助けるって行為が重すぎると思う」
医「重すぎるって?」
田「自分がくじで殺される側って言われると、
医「なるほど。受ける側の人間の気持ちを考えてって感じかな?」
田「うん…でも"申し訳ない"じゃなくて、
4、最後の選択
ベッドに横たわるもうひとりの自分を見た時の反応
「船じゃん」
田「これ(私の体に片桐の脳を移植しようとしていること)
医「知らないよ。言えるわけがない」
田「片桐さんがそうしたいんだったらいいです」
医「そうか…ちょっと待ってくださいね(KP)」
田「はい(迫真)」
医「じゃあ君は息子がいいと言ったら体をくれると言うのかね?」
田「正直ちょっと今、先生に怒ってる。
医「あれは本当になんていうか…
田「
医「人の記憶というのは人それぞれだからね…」
田「先生は船の話をした時に、パーツが全部入れ替わっていても、
医「機械の体について不安はあったりするかい?」
田「うーん……不安はないわけじゃない、けど、
医「ただちに支障が出ることはないと思う。
田「アフターケアは」
医「そこは誠心誠意尽くすよ」
田「私、はじめのひとつであるかどうかが重要で、
田「ガワが私でも片桐さんが入ってたら、
医「なるほど。
田「正直私先生に腹が立ってるだけで、
医「記憶さえ引き継げれば、元の体でなくとも君は自分であると、
田「うん」
医「心は決まったかな?」
田「これ、本当に片桐さんに言わなくていいんですか?」
医「息子には説明しておくよ。納得してもらえると思う」
田「
医「目覚めたときに説明するよ」
田「やっぱり先生やってることえぐいわ。
医「私はとにかく医者として父として息子を救いたい一心なんだ。
田「先生は先生のためにこれをやるってこと?」
医「今君が悩んでいるのは息子の意思を確認していないから?」
田「
医「さっきも言ったが息子は優しいから、
田「私に悪いから、
医「息子には事後報告でいいと?」
田「今言うことってできるんですか?」
医「眠ったばかりだから難しいかも。
田「本人に選ばせることが酷、って時もありますからね」
医「私もそう思うよ」
田「いや、いい。やっちゃいましょうもう。やっちゃおう」
医「心は決まったかい?」
田「はい」
田田の選択:体をゆずる
最後のRP:
田「正直言って何かが変わった気持ちはあんまりなくて、
KP「以上でいいですか?」
田「はい……」
〜完〜
(ここ、どうすればよかったの?という気持ちしかなかったが、他の人のセッションを見てたら素敵な締め方がいっぱいあって頭を抱えた)
感想戦で話したことなど
・焦った~~~~!そういう話なんだ…!
・船と人間を同じステージに上げて話し始めた時、
・KPさん「正直片桐との関係性があんまり良くなかった(
円「仲良い人だったらもっと迷ったかも。
KP「(全体的な受け答えは)田田さんの考えですか?」
円「正直かなり私の考えに近い。
KPさん「合理的に色々逡巡するんだけど最終的には感情…
円「パッションというかあんまり頭よくないな」
円「片桐さんがめちゃくちゃいい子だった。
KP「合理的かつ感情的な…」
円「めっちゃ矛盾パッション女みたいになってますが」
円「最後の選択について話し始めた時は、
"本人に確認させる方法もある"って提示してもらった時、正直助かる
田田が話すたびに自分の思考の屈折率みたいなものを自覚させられたし、
とにかく他人の感情に対して「荷が重い」って思ってるんだな…。
KPをやってくださったおだやかさん、
【ネタバレあり】舞台・ナポリの男たち 感想
「舞台になります」という告知を聞き、サイトがオープンし、キャストが発表され、役者さんのツイートがTLに流れてくるようになり、グッズが公開され、チケットを申し込み、その全てが目まぐるしくあっという間の出来事で、正直その間ずっと「舞台とは……?」という気持ちが消えなかった。混乱したまま観に行った。
※以下、たくさんのネタバレがあります。ネタバレ平気な方、観劇済の方のみお読みいただけたらと思います。
※すでに記憶が曖昧なので、順番がおかしかったり いろいろと間違っているかもしれないです。
・入場まで
13日のソワレ。少し早く会場に着き、物販に行く予定がなかったので近くのお店でコーヒーを飲んでいたんだけれど、隣の席の人が机に置いたショッパーに「舞台・ナポリの男たち」と刷られているのを見てしまった。「このショッパーを持っている人間、みんなオタク……?!」改めて店内を見渡すと、知らず知らずの間に同じショッパーを持っている人たちに囲まれていることに気付いたのだった。(アハ体験)
・開場〜開演まで
劇場内では過去の歌回で使用された曲が「イオンの駐車場で流れてるやつ」みたいなアレンジになって流れていた(特に「スリーピング・シティ」のイオン感が半端なかった)。
影アナが男たち(らんたん→すぎる→hacchi→shu3)。「激しい明滅」がちゃんと言えなかったり「途中休憩は、ございません!」で謎に語気が強まったりするshu3……。「ご熟読」ですぎるが噛みかけた時に周りのお客さんが「草」となっていて、本当に視聴者なんだな〜と実感した。
開演まであと10分くらいになったところでふと顔を上げるとスモークが焚かれ始めていてわくわく。さっきとは違う内容の影アナが流れる。らんたんの「ナポリの男たちch特別回、にご来場いただき……」の「特別回」の声に若干の戸惑いがあって笑った。
開演直前にhacchi likes apples.が流れ、会場小笑い(もっと沸いてたかもしれないけどメモに小笑いって書いてあってじわじわ来てる)。
すでに見えている舞台セット、カレンダー等でおなじみのオレンジと赤の放射線の背景がぶちぬかれたような形になっていて(ぶち抜きのところに映像が映る)、2次元から飛び出してきましたよ〜ってコンセプトが明快で良い。
・前座
パペットになった男たちが登場し(下手側:らんたん すぎる、上手側:hacchi shu3)、キャストさん2名の自己紹介動画を観てトークするというもの。このキャストさんが日替わりなのだろうな。パペットが本当に可愛くて可愛くて…欲しくなってしまった……。黒子さんのパペットの動かし方にもなんとなく個性があって、hacchiとshu3とらんたんが割と客席側を見て個々に喋っているのに対して、すぎるパペットはめちゃくちゃらんたんの方を見て喋っていた…。動きも大きかった。
・OP
役者さん達がドワーっと出てきて元気に踊って歌い出し、正直、本当に正直な気持ちを打ち明けると「困惑」だった。このタイプのエネルギーを男たちから受けたことがなかったので。あ、今私は舞台を観に来てるんだ……!と気を引き締める。らんたん♪すぎる♪hacchi♪shu3♪って名前が歌詞になってるような歌だったと思うのだけれど、この状況がシュールすぎて途中から普通に笑ってしまった。(この4人の名前がミュージカルの一部になることあるんだ)
・雄すぎ
hacchiによるねじねじの前日譚導入が新たにプラスされて始まる。
蘭太郎役の方の芝居が好きだったな……。蘭太郎がらんたんのシンジ君じゃなくなったら耐えられるかなって(泣かせ脚本すぎたらどうしようと)心配していたのだけれど、細かい笑いどころがたくさん足されていてちゃんと「"男たちの"雄すぎの舞台」が根っこにある…!と思った。骨組みとなったhacchiの筋書きが王道なので、舞台としても見やすくて、個人的には4本の中でいちばんすっと見入ることができたかもしれない。一生分の博多弁を浴びた日でもあった。
前にch動画での雄すぎに対して「つらくなったら、すぐに俺を呼ぶんだぞ」を「どげんもこげんもいかんこつなったら」と表現しているshu3が良かった という感想を呟いたことがあって、今回役者さん版のどげんもこげんも…が聞けて嬉しかった。本当に一生分の博多弁を浴びた。
・どす恋!
女子小学生の物語を大人が演じるというちぐはぐさが良い意味で"虚構"であって、これは大正解と思ったな。三人ともきらきらしてて可愛かった……。(追記:配信で(寄りで)観てたらあまりにも可愛くて"これはもうリアル"って感情まで行った)途中マナちゃん役の方が素に戻って笑ってしまって台詞を言い直すシーンがあったのだけれど、こういうのを挟んでくれる感覚、ガチるところと「これ今なにしてんの?」って笑いを往復してくれる感覚が舞台チームの皆さんにあることが嬉しかった。
EDの曲がすぎる作詞とのことで、覚えやすいように「ひふみよいつむななや…♪」って数え歌がベースやねんってウキウキ話してくれてたの最高だったな。多分今の若い子にひふみよいつむななや…は通じない。
・スナックしゆみ
こんなに膝下長い人いるんだ………。役作りのためにストイックにトレされてるというのが納得のプロポーションで、素晴らしかった……。
物語は少しほろ苦くて、一貫してしゆみがメインを張らない、聞き役に徹しているところが良かったと思う。
このあいだのマイクラ配信の時に、明らかに自然発生でなく植えられたであろう花々を見て「ここの花って別にゲーム上必要なものじゃなくて、ただここにあったらきれいって気持ちで植えられた花なんだろうな」と思ってちょっとじーんとしたことがあって(現実の道端のパンジーとかを見ても最近そう思う)、脚本にそういう感覚とリンクする部分があってちょっとじんわり来た。
・ムスカリ
同じ曲を連続で聞かされる地獄がちゃんと再現されていて良かったな。実はch動画の時点では若干not for meかも、と思っていて(本当に個人的な感覚の話です)、あんまり見返すことのなかった回だったのだけれど、今回で「こういう話だったのか……!」と理解できたように思う。
動画ではソロだった「鳥になりたい」がハーチェスとシュー王のデュエットになっていて、「〜〜〜 セピア色の日々〜」と過去に思いを馳せる方にはセピア色の照明が、今の状況を思って苦しんでいる方にはムスカリ色の照明が交互に当たってたの、好きだった。大サビ?ではこの2色が混ざって赤っぽい"紫"になったところ、多分そこまでの意図はなかっただろうけれどグッと来たな……。
シュー王が喋っている途中で幕がズン!と降りてしまうギャグが要所要所に挟まっていたのだけれど、シュー王が刺されてしまい、最期の言葉を言い切れずに幕が降りてしまった時はまた違うニュアンスを感じることができて「上手いな〜」と思った。
・終劇
全ての演目が終わってから、全キャスト(+怪人のガワを着た役者さん)が勢揃いして涙塩分を歌い踊っていたのだけれど、OPの時と同じ「困惑」の感情が襲ってきて情緒がバグってしまった。普段男たちの企画からは、その企画内容に関わらず「なにかしらの陰」を感じていて、今回その成分が完全に排除された状態で涙塩分を聴くことになり、「歌詞は確かに意味不明なのに、目から入ってくる情報が明るすぎる」みたいなバグを起こしたのだと思う。もうこれは男たちの湿っぽい部分に惹かれて会員になった身としては仕方のない混乱だったと思っている。この混乱、「妙な経験をしたな…?!」という気持ちごと楽しみたい。
終わってみると、思っていた以上に男たちが喋るパートが多かったり、らんたんの殺陣(雑魚)があったり、色々関わってこの舞台になったんだな〜という感慨があった。まさに「ナポリの男たちch 特別回」という感じだった(目に塩が〜のジングルから始まったし)。
同時に、プロの方が関わって、全力で振り切って演じてくださらなかったらこういう"舞台"の形にならなかっただろうなという気持ちも勿論あって、このよくわからない化学反応を目の当たりにできて、貴重な経験をしたぞ!という満足感がある。
ナポリテンに行った時、大人が文化祭のリバイバルしてるのを見せてもらったような気持ちになったのを覚えているんだけど、今回もプロの方が関わっているのに超ポジティブな意味合いでわちゃわちゃした"文化祭感"がところどころにあって、ここにchの小ネタ入れたら面白いかな?って思ってくださったんだろうなって気持ちを沢山沢山感じて、それがすごく嬉しかった。
今も正直「舞台ってなんだ……」という混乱から抜け出したわけではないけれど、楽しかった。オンラインも買おうかな……。フォロワーと一緒に観たらもっと楽しいだろうなと思う。
【配信を観ながら思ったこと】
※ふせったーにタグ併記するの忘れてて消したツイートなどここにまとめておきます
・雄すぎ/寄りで映されるM字嫌すぎて笑った
・どす恋/懸賞幕で「ナポリの男たち」が出てきた時、実家のような安心感をおぼえて無意識に拍手でかくなってしまったしちょっと泣きそうになったの、今思うと舞台に対して混乱と緊張感持ちすぎてて笑う
・スナックしゆみ/横浜哀恋慕歌い終わってからのしゆみの口パクの「ありがとうございました」がちゃんと「ありがとうございまし…タッ」だったの好きだ〜
・スナックしゆみ/劇パートが終わってshu3が枯れた花の話してる時「花」のイントネーション一瞬迷子になってたの、この告知ツイート思い出して笑った
明日の朝6時にLOMあがります。これはおまけのぽんこつ解説一部です(ざっくり解説の編集前) pic.twitter.com/keo4Q3c47a
— shu3 (@shu33333) 2019年1月14日
・いろいろ細かい所見返せて嬉しかった。ありがとうございました!
早く下りたいです
(以下、「狂気山脈」のネタバレを含みます。)
楽しかった……。
7時間超の配信、最後まで、そして感想戦まで、後日の個人配信に至るまで本当に楽しかった。物語がぐっと動き始め、RPもノッてきてからは特に楽しかった。
「あそこ面白かったな〜」「あそこドキドキしたな〜」とか細かく沢山あるのだけれど、ここでは主に志海三郎の話をしたい。
志海三郎、キャットフードの販売会社の営業である。営業成績がダントツ下位でも気にすることなく、仕事をさぼって登山のための筋トレに励む窓際族。登山中、命の危険に晒されると快感を覚える性質があり、それ以外のことにはさして興味がない。
一見なんの変哲もない会社員。むしろ社内の人から見たら「いつもヘラヘラごまかしてばかりの、仕事のできない社員」でしかない。志海をそう評価している人間の誰一人として志海が登山に於いてはヤベー奴だということを、知る由もない。
このキャラ設定が公開された時点でもう「オアア…」ではあった。
自分が見ているのはその人のごく一部分でしかないんだよな、と思うことは日常のあちこちに転がっている。実況者が配信で職場の話や過去のバイトの話をするのを何度も聴いてきたけれど、その職場にいた人は誰も彼が実況者だってことを知らないように。私が実況動画にハマっていて専用のアカウントを持っていることを知らない友人の方が多いように…。
彼は営業成績と引き換えに165cm・体重90kgの強靭な肉体を手に入れることとなるのだけれど、動物全殺しの男杉山の172cm・62kgと比較すると本当にヤバくて面白い。どれだけ仕事サボったらそんな体になれるんだろう。
shu3はどんなRPをするのかな〜と思って見ていたけれど、一貫して「良心ゼロのヤベー奴」を貫いたのが良・良・良だった…!
のちの配信で本人も話していたように、「色々あったけど、皆さんと登頂できてよかったです」とか、例えば「なんだかんだこのメンバーで登頂できて楽しかったです」とか、耳ざわりのいいことなんていくらでも言えたと思うのだ。言いたくなるとも思った。でもそこでそうならずに最後まで志海としての尖った冷たさ、自分本位な発言を繰り返したことで、最後の結末すらも「彼らしい」と言われるまでになったんだと思う。
「誰が山頂最初に踏む?」って話になった時に、志海がぐいぐいトップバッターを志願するのも良かった。普段の配信でshu3が自分が行きたいです!って強情になるところを殆ど見たことがなかったので、「キャラが言ってる」感を余計に強く感じたというか、「あ〜今、志海が行きたがってるんだ」と思えた。ずっと志海だった。
志海が夢を見るシーンを経て、さらにキャラクターに厚みが生まれたとも思う。ダイスを振ったあと、むつーさんの「志海さんがこうなってしまったの友人のせいの可能性ありますよこれ」という超ナイスアシストがあって、そこから一気に解像度が上がった感じがした。(いいKPだ〜…)
「僕はもうひとりで登りたくなりました」「ひとりで行きたいです」「ちょっと足手まといなんで君たち」「いやーもう いやな夢見ましたね」
このあたりの言動、ただのヤベー奴のヤベー言動とも処理できるし、夢を見て過去の引き出しを開けてしまったことで益々狂気に拍車がかかったとも解釈できるし、絶妙だったと思う。深読みしたければしたら、くらいの。深読みするとしたら友人を喪失した過去を経て、他人と深く関わると精神衛生上碌なことがないな、と思った志海の諦念が数々のヤベー言動につながっているのかな〜と、やっぱり考えてしまう。
私は、志海が最後ひとりだけ下山に失敗したことについて、ある意味では納得できている。納得できてしまうものだったということは受け止めている。「志海らしい終わりだった」という言葉にも「わかる」と言える。
でも登頂した時の志海の「早く下りたいです」「次また登りたいです」って言葉を思い出すと、どうしてもヴ……!という気持ちになってしまうのだ。次行きたいって気持ちがたしかに彼にはあったのに。「人生の絶頂です」とまで言った彼だったけど、絶頂が更新される可能性がその言葉にはあったのに…。
山頂を最初に踏みたい人は他にもいた。それでもなお「踏みたい踏みたい!」「おれが踏みたい!」「もう生きてる意味ないから」って譲らなくて、結局みんなが譲った時に「やったー!」って無邪気に喜んで、第一踏のその足跡を志海が刻めたこと。その時はマジでヤベー奴だなって思うだけだったけれど、全てが終わった今ではあの時の第一踏が志海でよかったよな〜って本当に思う。そう思うまでに至る道もダイスの運によって齎されたものだったんだと思うとTRPGって面白いな…。
「いやでも…登った瞬間は嬉しかったでしょ?」ってえべたんの戸惑い、「お前、ここに残らないよな?」って八木山の駄目押し、「やめてな?やめてな マジで」って杉山の本気の引き止め、これらがより志海のヤバさを引き立てるかたちになっていたと思う。時間が経つほど、会話が重なるほどどんどんキャラクターが立体的になっていくのが分かった。会話の積み重ねで肉付けしあっているような感覚。
「今日、今日この時のために生きてきたのかもしれないです」のあとに「生きてる…!」って続けて消えていった志海の輝き、それを見てもなお喪失感に耐えられなくて、ウーーー!!となってしまう自分と向き合った時、人間のエゴって怖いなあと思った。
最後のほうで梓ちゃんに「(3000m地点まで)どうやって降りたの?」と訊かれた時、えべたんが「パラシュートで…志海さんが見つけたパラシュートで降りてきたの」って言うシーン最高だったな。志海が見つけたパラシュートで3人は生き延びたのだ。そんなこと志海はどうでもいいと思っていそうだけれど。
のちのち、登山中に日本人一名が行方不明になったってニュースが流れたりして、キャットフードの販売会社では「志海さん行方不明になったらしいよ」「えーそうなんだ〜」なんて会話があるのかもしれない。それも一過性のもので、そのうち志海のデスクには他の誰かが座ることになるし、元々営業成績の悪かった志海の穴なんて、多分そう大きくはない。ふつうに回ってゆく日常があるんだろうな。そんなことも、やっぱり志海はどうでもいいと思っていそうなのだ。つくづく良いキャラだった。良いRPだった。多分何度も、何度も見返すと思う。当分下山できそうにない。
何も残らない を残す/ラスアス2の感想(ネタバレあり)
ラスアスが好きだ〜!これまでにやってきたゲームの本数がそう多くないとはいえ、これを超えるゲームには今後も出会えないんじゃないかという疑念はなかば確信とも言える。
ラスアス2は、私にとって初めての「完全初見でやるラスアス」だった。(1はshu3の実況「不可能を越えた超やりこみラストオブアス https://www.youtube.com/watch?v=92Lqo5JY7Lk 」をまるっと見てからプレイしたので。この動画がきっかけでPS4とラスアスを買ったくせに、動画を見る自分とラスアスをプレイする自分、その順番を入れ替えたい、時間を戻したいと何度思ったかわからない。)
2の発売をずっと心待ちにしていたのに、やり始めたら苦しくて、クリア後すぐは思い出すだけで辛くて胃の痛くなる日々だった。それでも今、やってよかったとはっきり思っている。大好きなところと、大嫌いなところと、どちらもあって、それら引っくるめて「これは名作だ」と思う。そう思うまでのことを、長くなるけど書いていきたい。
(ここ良かった!ここ苦しかった…というのをずらずら書いているだけなので、ネタバレがめちゃくちゃあり、レビューと言うより自分のための記録のような文章です)
「ジョエルとエリーの物語である」と信じて始まったPart2
ネタバレは嫌だけど情報は追いたいというせめぎあいの結果、SNSはワードミュートを徹底しつつ、公式のトレーラーは我慢できずにチェックしてしまっていた。発売日前に公式から出た映像はおそらく全部見ていたと思う。
特に発売日アナウンストレーラーと
https://www.youtube.com/watch?v=OkT-oRad_fs
2018年に公開されたゲームプレイトレーラーが印象的。
The Last of Us Part 2 Gameplay Trailer (4K) - E3 2018 - YouTube
(このトレーラーが一番好き)
プレイ前にこれらを見て、エリーとキスしていた子(ディーナ)が死に、それがきっかけとなって復讐の物語が始まるのかな?という予測を立てていた。ジョエルの生存についても疑いすらしていなかった。
上に貼った動画の1つめ、発売日アナウンスのトレーラーを見てほしい。一人で敵地にいるエリーの口を後ろから塞ぐ人物。振り向いてその姿を見、「なんでここにいんの」と驚くエリー。その直後に「お前を一人で行かせるわけないだろ」と言うジョエルのカットが入っている。
どうしたって「何か事情があって道を分かたれたエリーとジョエルが再会を果たした」と受け取れるシーンなのだ。そのシナリオを素直に信じていた。
結果から言えばあの時後ろからエリーの口を塞いだのは全くの別人(ジェシー)であり、意図的に別シーンのジョエルとジェシーを繋いだ編集はかなりひどいミスリードと言えるのだけれど、そうまでしてでも絶対に悟られたくなかったのが「ジョエルの死」という2における最も衝撃的な出来事だったのだろう。
PART1の冬の章で、デヴィッドに連れ去られたエリーの行方を知りたいがために敵を連れ去り、「今からお前の膝を割る」と脅し、拷問の末ぶち殺したジョエルが、今度はショットガンで自身の膝を撃ち抜かれ、拷問を受け、泣き叫ぶエリーの目の前で殺される。悪夢のような出来事だ。なんなら悪夢でいいから夢であってほしかった。
前述の通り私はトレーラーの影響でジョエルの生存を信じていたので、ジョエル殺害の後一旦プレイをやめて「死んだっぽかったけど(トレーラーに出てきたし)多分生きてるよな…」と自分に言い聞かせていた。本当に死んでしまったんだと理解したのはジョエルの墓と、たくさんの花束が供えられたジョエルの家が映った時だ。これから先何十時間分プレイしたとしても、その世界にもうジョエルはいない。
1に登場したビル(彼にはパートナーがいたけれど、そのパートナーは感染をきっかけに自死している)とのやりとりが頭をよぎる。
「昔はな、俺にも大切な人がいた。だが今じゃそんなものを持ってるヤツから死んでいく。
じゃ どうするか? 頭を使ったね。一人の方がいいと気づいた」
「ビル、そういうことじゃないんだ」
「いや、そういうことだよ」
花束だらけの階段を登ってジョエルの家に入った時は、そのゆたかさに少し驚いた。趣味を楽しんでいる大人の家。ジョエルっぽくないと思った人も少なくないだろうし、私も初めはそう思った。でも多分、元々ジョエルってそういう人だったのだと思う。1の冒頭でサラがジョエルに宛てた手紙に「私の好きな音楽や映画だってまるで気に入らない。それでも最高のパパでいられるのって不思議。」と書いてあったり(サラにはサラの嗜好があるように、ジョエルにもジョエルの嗜好があることが伺える)、旅の途中でエリーにギターや映画の話をしていたように、世界の秩序が崩壊する前はジョエルにだって趣味があって、それを楽しめる人生だったのだ。ジョエルがそういう日々をすべてではなくても少しでも取り戻せていたんだなと知れたことは、その後にどんな未来が待っているかを見た上でもやっぱり嬉しかった。(ジョエルのマグカップめっちゃでかかった…)
ジョエルの家の探索中、エリーがベッドルームに入って遺品を見たりするのだけれど、布団が朝起きた時のまま半端にめくれていたのが切なかった。自死願望の無い誰もが「私は今日死ぬ」とわからずにいつもの朝を迎えているんだよなと。
2の冒頭、ジョエルがエリーに向けて弾き語りを披露するシーンがある。
「君を失ったら
我を失ってしまうだろう
ここで手に入れたものすべては
自分ひとりじゃ 手に入れられなかった
ろくでなしなこの俺でも
君がいればまっとうな生き方ができる
他人のマネをするまやかしの自分は
もう必要ない
だって信じているから
君とならうまくいくと
二人の未来を
信じているから」
これ……。(原曲はFuture Daysという歌です)
「君を失ったら我を失ってしまうだろう」という歌詞、ジョエルの気持ちを代弁してるじゃん…という感じでかなり胸に迫るものがあった。そしてその歌詞が、今度はそのままエリーに返ってくる。
ジョエルの弾き語りを聴いたその時のエリーは実感がなかったかもしれないけれど、ラスアス2とはまさに、ジョエルを失ったエリーが我を失い彷徨っていく物語なのだ。
一方ジョエルの死後、ディーナとともに復讐の旅に出たエリーが、バリアント・ミュージックショップで拾ったギターで弾き語るシーン。
「君を失ったら…」まで歌って、エリーは歌うのをやめてしまう。この時にエリーは初めて「我を失ってしまうだろう」の歌詞を自分と重ねたのかもしれない。
歌うのをやめてしまったエリーは、その後a-haの名曲「Take on me」を歌い始めるんだけれど、これの歌詞、というか翻訳?がまたすごい。
「いくら話しても
肝心なことが言えない
でもどうにか伝えてみよう
相変わらずつれない君に
そっぽ向かれるだけだけど
いつか振り向かせたいんだ
僕を受け止めて
早く受け入れて
もうじき僕は
遠くへ行ってしまうから
もう知ってるよね
僕が半人前だって
でも僕なりにもがいて
生きるってことを 噛み締めるんだ
君もそう思わない?
後悔するくらいなら やりきろうって
僕を受け止めて
早く受け入れて
もうじき僕は
遠くへ行ってしまうから
遠くへ行ってしまうから」
これ、1の時のエリー視点なようにも感じるし、2の時のジョエル視点でもあるように感じないだろうか?この翻訳すごい…!!!
(ってめちゃくちゃ感動してたのにこの後そばで歌を聴いていたディーナとのラブい思い出話が始まったものだから「解釈違った?!えっこれディーナの話?!」って笑ってしまった)
ラスアスというゲームが評価された要因は、もちろん感情移入できるシナリオやグラフィックの美しさだとか、ゲーム性の面白さだとか色々あるとはいえ、何よりジョエルとエリーというキャラクター、そして二人の関係性の描写の素晴らしさによるところが大きいだろう。
もしPART1がいきなり「20 YEARS LATER」から始まっていて、愛娘のサラを失うまでの詳細をプレイさせられていなかったら、ここまでジョエルに肩入れってできなかったと思うのだ。サラがプレゼントしてくれた時計をつけて「これ…すごくいいけど…動いてないぞ?」なんて冗談を言うたのしい父親としてのジョエルを見せ(ここ大好き)、その後銃撃によってサラを失い、時計が本当に動かなくなってしまうまでをしっかり描くこと、操作させること。これがあったから私達は「彼はいちばん大切な存在を失った人なのだ」という実感を胸にしながらジョエルを操作することになったし、エリーがかけがえのない存在になっていく過程を「この子が大切だよな、大切って思うことが怖いよな…」と噛みしめることができたのだと思う。
私達はジョエルの味わった絶望を冒頭でこの身に受け、エリーと出会い、小生意気な女の子が自分に心をひらいていくくすぐったさを体感し、「私の大事な人は全員、あたしを置いてったか、死んだの。全員ね…あんた以外は!」というエリーの訴えを受けて「絶対にこの子を一人にしない、したくない」と誓ったのだ。みんなそう誓ってプレイした(と私は思ってる)し、だからこそ道中で沢山の人を殺めていく時に、その人達の人生についてはなるべく考えないようにしてきたと思う。そこに向き合ってしまったら収集がつかなくなるから。あの荒廃した世界に於いて、そんなに沢山の人生に思いを巡らしてしまったら、「負けてしまう」から。
エリーは、病院に着いたら自分が死ぬ…とは思っていなかったかもしれないけれど、もし面と向かって「ワクチンを作るにはあなたの命を犠牲にしなければならないんです」と告げられたら「わかりました」と言ったんじゃないだろうか。そう取れる描写が2の中にも存在する。
極端な話世界中の人が感染して自我を失うことがあっても、エリーだけは「そう」ならない。ライリーが言っていた「待ってればいいじゃない、どうせ最後はみんなおかしくなっちゃうんだから」という台詞、エリーの「私はまだ待ってるの」という台詞。でもエリーはどれだけ待ってもおかしくならないのだ。ひとりだけ正気のまま取り残される未来をきっとエリーは想像したことがあるだろう。そしてエリーは、「今まで沢山の人が犠牲になるところを見てきたけど、それが終わるかもしれない。私の免疫で終わりにできるかもしれない」という事実を知っている。旅の途中でテスが死んだことをエリーはずっと気にしていた。"巻き込んだ"という意識が強かったのだと思う。そういう子にとって、「私の存在によって多くの人が生かされる」「終わりに出来る」可能性が示唆されていることがどれだけ救いになったか。自分の存在、自分のこれまでを肯定するための要素になり得たか。
「ファイアフライはワクチンの開発をやめた」「お前以外にも免疫を持っているやつがいた」というジョエルの言葉が嘘だったことを、2でエリーは知ることになる。その時のエリーの半ば過呼吸のような泣き声。許せないという激昂。自分が死ぬことより辛かったのかもしれない。これまでに死んでいった人の数多の魂を背負いながら生きるよりも、人類の救いとなって自分が死んだほうがまだいいと、私ならそう思う。「(ワクチンを作れていたら)生きた証を…残せたのに」ってエリーの言葉は本心だと思う。
エリーのために戦ってきたジョエルではあったけれど、厳密には「エリーを失いたくない自分のため」ということであって、その裏には間違いなくサラの死が関わっている。エリーの意思はそこに介在していない。それはやっぱり自分勝手だと思う。
でも、でもだ。それでも私は「もう一回神様がチャンスをくれたとしても、きっとまた同じことをする」というジョエルの言葉にも、「わかる」と言わざるを得ない。勝手だって分かっていても。
ずっとジョエルとエリーの話をしていたいけれどそういうわけにもいかない。はっきり言ってしまえば「大切な人を失ったのってジョエルやエリーだけではないんだよ。あなたたちが奪った人生があるんだよ」と叩き込まれていくのが2なのだ。ジョエルが殺してきた数多の人、そしてその周りの人々だって大きな苦しみを腹に抱えている。その中のひとりが2のもうひとりの主人公、ジョエルに父親を殺された女の子、アビーなのである。
アビーと接するたびに自分が二人に分裂する
彼女はジョエルを嬲り殺した張本人であり、おそらく今もっともヘイトを向けられている存在だろう。
とはいえ彼女にもジョエルを殺した理由というものが存在する。彼女の父親は医師であり、エリーの脳からワクチンを作り出す、その命を受けていた張本人だ。
1で手術室に横たわる意識のないエリーをいざ連れ出すシーン、手術室の中には3人の医療従事者がいて、そのうち2名の看護師は殺さずに見逃すことが可能だったんだけれど、執刀医だけは殺さなければ先に進むことができなかった。その「どうしても殺さなければならなかった存在」、それがアビーの父親だったなんて、今さら言われても困るんですが…という感じ。でもこの「今更言われても…」っていう感想そのものがめちゃくちゃ勝手だなって自分で思う。
思い返してみればその時の私は「絶対エリー救うマン」になっていて(そういうジョエルになっていて)、初プレイのときはアビーの父親を火炎放射器で燃やしたと思う。もう殺し方とかどうでもよかった。迷いも後ろめたさも正直なかった。もしもあの時分岐があって、「医師を殺してエリーを助けますか?」「エリーを犠牲にして世界を救いますか?」という選択肢が与えられたとしても、私は絶対にエリーを救う道を選んだと思う。そういう旅路をずっと歩んできたのだから。
手術の前、狼狽する父にアビーは「もし免疫を持っているのが私だったとしても、パパに手術してほしい」と言う。これ、いいシーンだったんだけど正直すごくいやだった。もしもの話をしたらみんなそう言うよと。私だってそう言う。でも結局あなたも私もエリーじゃないじゃん…と思ってしまう。「じっさいにそうなる」人ではない人が何を言ったってさ…。
…と思っていたのに、シアトルでの三日間をアビー視点で過ごし、そしてアビーの過去をなぞってしまうとアビーのことを憎みきれない自分があらわれてきた。アビーにはアビーの人生があり、仲間がいて、それが全然「悪人の人生」じゃないものだから。そしてアビーもアビーで、「理屈ではない感情」に翻弄されているひとりであったから。
旅の途中でアビーにも"守りたい存在"が出来る。レヴとヤーラ。特にレブ。彼らはセラファイトという宗教団体のメンバーであり、アビーが所属しているWLFとは対立関係にある。レブとヤーラがアビーのピンチを救ったことがきっかけで、アビーはWLFに背いてでも彼らを守ろうと奔走することになるのだけれど、ところどころで意図的に「エリーを守ろうとするジョエル」と重なるように描写されている。このあたりが本当にずるい。アビーが見せる親のような優しさを頭では理解できるんだけれど、これを受け入れるということは「ジョエルの仇を討つエリー」の肩を持つことに逆行するにも等しいからだ。
アビーはとても魅力的なキャラクターだったと思う。フィジカル強いのに高いところが苦手で(かわいい)、仲間の言葉に傷ついて涙する脆さもある。一部ではなんでアビーこんなごっついんだみたいな声があったみたいだけれど、回想シーンで見られる昔のアビーは今より全然華奢だった。彼女を変えたのはジョエルへの復讐心にほかならなくて、彼女が憎しみに身を投じてきた年月が彼女の外見に表れている、それだけだと思う。
…というように、気づけば私はめっちゃアビーの味方をしてしまうのだ。アビー編をプレイしている間ずっと、自分が二人に分裂していくような苦しさが伴った。
特に苦しかったのはアビーとエリーがついに邂逅しタイマンの勝負になるところ。この時プレイヤーが操作するのはアビーなのだ。アビーの視点から見るとエリーは完全に敵で、なんならプレイ感は1でエリーとデヴィッドが戦った時のそれに近い。私達はエリーを倒そうとしなければならない。ここ、どうしてもエリーを攻撃したくなくて何度も死んだ。
ブレないジョエルとブレブレのエリー
結局アビーとエリーのタイマンは、アビーがエリーにとどめを刺すことをやめて去ることで一旦終了する。舞台は暗転し数年後、ディーナが身ごもっていた子ども(JJ)が生まれ、心機一転ディーナとJJとエリーが三人で暮らしているところに移る。復讐の旅の後だなんて思えないくらい平和な日常が描かれている。
けれどそんな日常も束の間、エリーがPTSDの発作を起こしてしまう。ジョエルが撲殺されるところのフラッシュバック。その惨さ、見ていられない。やめておけばいいのにまたアビーを追って家を出ようとするエリーに、ディーナが「あんな女が家族より大事なの?」と詰め寄るのだけれど、多分どっちが…とかって軸で考えていないのだ。ただ苦しくて、"今"幸せでも、心の別のところに過去の苦しみがずっと精算されずに残ってしまっていて、その苦しみを抜ける術が分からない。分からないなりに「復讐を遂げたらもしかしたら救われるのかもしれない」という可能性に、すがるしかないのだ。
再度復讐の旅に出たエリーは、その道程の末にアビーと改めて対峙し、海の浅瀬で戦うことになる。「私は戦わない」と言ったアビーは、復讐の空虚さに多分もう気がついている。
それでもエリーは自分を止めることができない。波の中で何度もアビーを殴り、水中にアビーを沈めて力を込めるシーンはこちらもとても冷静ではいられない。そんな時にカットインしてくるのが穏やかに微笑む生前のジョエルの姿なのだ。苦しむジョエルの姿に復讐心を煽られてここまで来たのに、そんなエリーを踏みとどまらせたのもジョエルだった。ここで初めてエリーはその手にこもっていた力を抜くことになる。レブと一緒に行けとアビーを逃がし、海にひとりぼっちになる。
戦いを終えたエリーはディーナと赤ん坊と過ごした家に戻るのだけれど、そこにもう彼らの姿は無い。このディーナの行動を責めることも難しい。子供という守るべき存在ができた今、過去の苦しみに囚われ続けるわけにもいかないというのはよく分かる。
エリ―は部屋に残されたギターを手に取り、ジョエルに教えてもらった曲を弾こうとする。でもアビーとの戦いで失った指のせいでコードをきちんとたどれず、欠落した旋律しか奏でることができない。何かを悟ったかのようにギターを部屋に残し、一人でエリーは歩き始め、画面外に消えてゆく。ひとつのゲームの終わりとしてあまりにも寂しく、虚しい幕引き。今作、とにかく執拗にギターを弾かせてくるので「この操作いるか…?」って思っていたんだけれど、すべてはこの欠落を体感させるためのものだったのだと分かった時は「製作者、人を苦しめる能力に長けすぎている…」と思った。
思えば1のジョエルってほとんど迷いなく行動していたので、プレイする側としてはかなりストレスが少なかった。ことエリーを守ることに関しては一切のためらいが無くて、「殺す」「殺す」「絶対殺す」の繰り返し。マーリーンに撃たないでと懇願された時ですらノータイムでバンなのだからすごい。
そんなジョエルとほぼ真逆と言えるのが2のエリーだった。嘘をついていたジョエルを許せない、でも許したい。アビーを追うことを一旦はやめたのに結局また追い始め、やっと殺せるタイミングが来たのに殺しきれない。ディーナと赤ちゃんとの生活を一時は楽しめていたのに、選び切ることができなくて、結局二人からも選ばれずに一人になってしまう。
ずっと迷っていてずっとブレているのがエリーだった。それを操作するのだから「振り回されてる」感覚がものすごく強くて、ストレスを感じて当然なのだ。でも、このブレがあったからこそ、1では頭から追いやっていた「自分が今やってることってなんなのか」という疑問に向き合えたのだと思う。
正直に言えば1をクリアした時に、大きな感動と一緒に「何かを置き去りにしてきた気がする」という気持ちがあった。置き去りにすることでエリーを救えたのだから、その気持ちは回収しようがないことも頭では分かっていた。そんな置き去りにしてきたものを、今度は真っ向からぶつけられたのが2だった。だからだろうか、「結局どうしたらよかったのか」という問いに答えは出なかったのに、プレイ中もクリア後も苦しかったのに、どこかで妙にすっきりしている。
ジョエルが死ぬ前、エリーは酒場でちょっとした揉め事を起こしてしまう。揉めている最中にジョエルが仲裁に入ってくれるのだけれど、エリーは「助けてくれなんて頼んでない!」とブチ切れる。そう言われたあとのジョエルの「わかった」という声、そしてしょんぼりした顔が切なくてたまらない。エリーのこの激昂、思春期の子の立場になって考えてみるとたしかに怒ってもおかしくないのかも…と感じるのだけれど、ジョエルがそのあたりを分かれないのは当然といえば当然なのだ。だって愛娘のサラは思春期にさしかかる前に死んでしまったのだから。初めてなのだ、ジョエルが思春期の(娘同然の)女の子と関わるのは。
このエリーの複雑な心境の描写は日記からも読み取れる。ジョエルが死んでしまった後、エリーは日記にジョエルの似顔絵を描くのだけれど、その目元だけが何度も何度も描き直されている。もうずっとちゃんと目を見て話せてなかったんだろうな、と感じさせられる。でも「あの人の顔を思い出したい」と思う瞬間が来ることなんて、生きてる間は知りようもない。
生前のジョエルとの最後の会話。「(ワクチンについて嘘をついたこと)(私を生かしたこと)一生そのことは許せないと思う。でも…許したいとは思ってる」というエリーの言葉。それにジョエルは「それでいい」と返す。その後エリーが「わかった」「じゃあまたね」と言う。またねの先にはジョエルの死がある。
思い返せば1のラスト。「誓ってよ。さっきファイアフライについて言ってたことは全部本当だって誓って」「誓うよ」という会話の後、エリーが「わかった」と言う。それを踏まえると2でジョエルとの会話の最後が「わかった」なの、すごい…。端々で1と重なるシーンが2は本当に多かった。
重なると言えば2の回想シーンのひとつに、廃墟になった博物館にジョエルとエリ―が訪れる、というものがあった。これは多くの人にとってハイライトになったエピソードだと思う。展示されたロケットの中に入ったエリ―に、誕生日プレゼントとしてジョエルが渡したのがアポロ号の発射時の録音テープだったこと。「気に入ったか?」「気に入らないわけないでしょ」という会話。ロケットから降りたエリ―に、ジョエルがピンバッジを渡しながら「地球へようこそ」と声をかける粋さ。ボロ泣きの名シーンである。
パート1の大学のシーンで、エリーが「あたし昔は宇宙飛行士になりたかった。宇宙を独り占めできるから」って言うんだよね。あの博物館でエリーは宇宙に触れたのだ。独り占めじゃなくてそばにはジョエルがいたのだけれど、その方がずっとよかっただろう。
9割が苦しい2において博物館のシーンはほんとうに輝いていて、こんな二人はもう二度と見られないんだと思うと、またむくむくと憎しみが湧いてきてしまう。結局私は誰かひとりの肩を持つことはできないのだ。
ここまで書いてきて思ったけれど、私は「ジョエルの気持ちもわかる」「エリーの気持ちも分かる」「アビーの気持ちもわかる」って、主要人物みんなに対して「わかる」という気持ちは持っている。でも、正直その誰もが自分本位に動いていて、客観性を著しく欠いている。過去や憎しみに翻弄されて、それぞれがめちゃくちゃな方向に生きている。だから「この人が正しい」とは一度も言えなかったのだ。
そもそもが荒廃し、生きるか死ぬかの世界。法も無力化した社会で、他人に理解を示しながら理性で自分をコントロールすることがいかに難しいか。
「復讐は何も生まない」という理性と、理屈じゃない気持ちのせめぎあい。それに決着をつけるための作品というよりは、このブレの存在そのものに向き合わせるための作品。あれだけ色々なことが起きたのに、なんにもならなかったなと思ってしまう、そのむなしさ。「何も残らない」ことそのものを残す、それが2だったのかなと、私の感想の落とし所はここである。批判があって当然のテーマをここまで描ききってくださった制作陣の方々にほんとうに大きなリスペクトがある。GOTYおめでとうございます。やってよかった。