何も残らない を残す/ラスアス2の感想(ネタバレあり)

 


 ラスアスが好きだ〜!これまでにやってきたゲームの本数がそう多くないとはいえ、これを超えるゲームには今後も出会えないんじゃないかという疑念はなかば確信とも言える。
 ラスアス2は、私にとって初めての「完全初見でやるラスアス」だった。(1はshu3の実況「不可能を越えた超やりこみラストオブアス https://www.youtube.com/watch?v=92Lqo5JY7Lk 」をまるっと見てからプレイしたので。この動画がきっかけでPS4とラスアスを買ったくせに、動画を見る自分とラスアスをプレイする自分、その順番を入れ替えたい、時間を戻したいと何度思ったかわからない。)
 2の発売をずっと心待ちにしていたのに、やり始めたら苦しくて、クリア後すぐは思い出すだけで辛くて胃の痛くなる日々だった。それでも今、やってよかったとはっきり思っている。大好きなところと、大嫌いなところと、どちらもあって、それら引っくるめて「これは名作だ」と思う。そう思うまでのことを、長くなるけど書いていきたい。
(ここ良かった!ここ苦しかった…というのをずらずら書いているだけなので、ネタバレがめちゃくちゃあり、レビューと言うより自分のための記録のような文章です)

 

 

「ジョエルとエリーの物語である」と信じて始まったPart2

 ネタバレは嫌だけど情報は追いたいというせめぎあいの結果、SNSはワードミュートを徹底しつつ、公式のトレーラーは我慢できずにチェックしてしまっていた。発売日前に公式から出た映像はおそらく全部見ていたと思う。

特に発売日アナウンストレーラーと
https://www.youtube.com/watch?v=OkT-oRad_fs

2018年に公開されたゲームプレイトレーラーが印象的。
The Last of Us Part 2 Gameplay Trailer (4K) - E3 2018 - YouTube

(このトレーラーが一番好き)

 プレイ前にこれらを見て、エリーとキスしていた子(ディーナ)が死に、それがきっかけとなって復讐の物語が始まるのかな?という予測を立てていた。ジョエルの生存についても疑いすらしていなかった。
 上に貼った動画の1つめ、発売日アナウンスのトレーラーを見てほしい。一人で敵地にいるエリーの口を後ろから塞ぐ人物。振り向いてその姿を見、「なんでここにいんの」と驚くエリー。その直後に「お前を一人で行かせるわけないだろ」と言うジョエルのカットが入っている。
 どうしたって「何か事情があって道を分かたれたエリーとジョエルが再会を果たした」と受け取れるシーンなのだ。そのシナリオを素直に信じていた。
 結果から言えばあの時後ろからエリーの口を塞いだのは全くの別人(ジェシー)であり、意図的に別シーンのジョエルとジェシーを繋いだ編集はかなりひどいミスリードと言えるのだけれど、そうまでしてでも絶対に悟られたくなかったのが「ジョエルの死」という2における最も衝撃的な出来事だったのだろう。
 PART1の冬の章で、デヴィッドに連れ去られたエリーの行方を知りたいがために敵を連れ去り、「今からお前の膝を割る」と脅し、拷問の末ぶち殺したジョエルが、今度はショットガンで自身の膝を撃ち抜かれ、拷問を受け、泣き叫ぶエリーの目の前で殺される。悪夢のような出来事だ。なんなら悪夢でいいから夢であってほしかった。
 前述の通り私はトレーラーの影響でジョエルの生存を信じていたので、ジョエル殺害の後一旦プレイをやめて「死んだっぽかったけど(トレーラーに出てきたし)多分生きてるよな…」と自分に言い聞かせていた。本当に死んでしまったんだと理解したのはジョエルの墓と、たくさんの花束が供えられたジョエルの家が映った時だ。これから先何十時間分プレイしたとしても、その世界にもうジョエルはいない。
 1に登場したビル(彼にはパートナーがいたけれど、そのパートナーは感染をきっかけに自死している)とのやりとりが頭をよぎる。

「昔はな、俺にも大切な人がいた。だが今じゃそんなものを持ってるヤツから死んでいく。
じゃ どうするか? 頭を使ったね。一人の方がいいと気づいた」
「ビル、そういうことじゃないんだ」
「いや、そういうことだよ」

 花束だらけの階段を登ってジョエルの家に入った時は、そのゆたかさに少し驚いた。趣味を楽しんでいる大人の家。ジョエルっぽくないと思った人も少なくないだろうし、私も初めはそう思った。でも多分、元々ジョエルってそういう人だったのだと思う。1の冒頭でサラがジョエルに宛てた手紙に「私の好きな音楽や映画だってまるで気に入らない。それでも最高のパパでいられるのって不思議。」と書いてあったり(サラにはサラの嗜好があるように、ジョエルにもジョエルの嗜好があることが伺える)、旅の途中でエリーにギターや映画の話をしていたように、世界の秩序が崩壊する前はジョエルにだって趣味があって、それを楽しめる人生だったのだ。ジョエルがそういう日々をすべてではなくても少しでも取り戻せていたんだなと知れたことは、その後にどんな未来が待っているかを見た上でもやっぱり嬉しかった。(ジョエルのマグカップめっちゃでかかった…)
 ジョエルの家の探索中、エリーがベッドルームに入って遺品を見たりするのだけれど、布団が朝起きた時のまま半端にめくれていたのが切なかった。自死願望の無い誰もが「私は今日死ぬ」とわからずにいつもの朝を迎えているんだよなと。

 

2の冒頭、ジョエルがエリーに向けて弾き語りを披露するシーンがある。

「君を失ったら
我を失ってしまうだろう
ここで手に入れたものすべては
自分ひとりじゃ 手に入れられなかった
ろくでなしなこの俺でも
君がいればまっとうな生き方ができる
他人のマネをするまやかしの自分は
もう必要ない
だって信じているから
君とならうまくいくと
二人の未来を
信じているから」

これ……。(原曲はFuture Daysという歌です)
「君を失ったら我を失ってしまうだろう」という歌詞、ジョエルの気持ちを代弁してるじゃん…という感じでかなり胸に迫るものがあった。そしてその歌詞が、今度はそのままエリーに返ってくる。
ジョエルの弾き語りを聴いたその時のエリーは実感がなかったかもしれないけれど、ラスアス2とはまさに、ジョエルを失ったエリーが我を失い彷徨っていく物語なのだ。

 一方ジョエルの死後、ディーナとともに復讐の旅に出たエリーが、バリアント・ミュージックショップで拾ったギターで弾き語るシーン。
「君を失ったら…」まで歌って、エリーは歌うのをやめてしまう。この時にエリーは初めて「我を失ってしまうだろう」の歌詞を自分と重ねたのかもしれない。
歌うのをやめてしまったエリーは、その後a-haの名曲「Take on me」を歌い始めるんだけれど、これの歌詞、というか翻訳?がまたすごい。

「いくら話しても
肝心なことが言えない
でもどうにか伝えてみよう
相変わらずつれない君に
そっぽ向かれるだけだけど
いつか振り向かせたいんだ
僕を受け止めて
早く受け入れて
もうじき僕は
遠くへ行ってしまうから
もう知ってるよね
僕が半人前だって
でも僕なりにもがいて
生きるってことを 噛み締めるんだ
君もそう思わない?
後悔するくらいなら やりきろうって
僕を受け止めて
早く受け入れて
もうじき僕は
遠くへ行ってしまうから
遠くへ行ってしまうから」

これ、1の時のエリー視点なようにも感じるし、2の時のジョエル視点でもあるように感じないだろうか?この翻訳すごい…!!!
(ってめちゃくちゃ感動してたのにこの後そばで歌を聴いていたディーナとのラブい思い出話が始まったものだから「解釈違った?!えっこれディーナの話?!」って笑ってしまった)

 

 ラスアスというゲームが評価された要因は、もちろん感情移入できるシナリオやグラフィックの美しさだとか、ゲーム性の面白さだとか色々あるとはいえ、何よりジョエルとエリーというキャラクター、そして二人の関係性の描写の素晴らしさによるところが大きいだろう。
 もしPART1がいきなり「20 YEARS LATER」から始まっていて、愛娘のサラを失うまでの詳細をプレイさせられていなかったら、ここまでジョエルに肩入れってできなかったと思うのだ。サラがプレゼントしてくれた時計をつけて「これ…すごくいいけど…動いてないぞ?」なんて冗談を言うたのしい父親としてのジョエルを見せ(ここ大好き)、その後銃撃によってサラを失い、時計が本当に動かなくなってしまうまでをしっかり描くこと、操作させること。これがあったから私達は「彼はいちばん大切な存在を失った人なのだ」という実感を胸にしながらジョエルを操作することになったし、エリーがかけがえのない存在になっていく過程を「この子が大切だよな、大切って思うことが怖いよな…」と噛みしめることができたのだと思う。
 私達はジョエルの味わった絶望を冒頭でこの身に受け、エリーと出会い、小生意気な女の子が自分に心をひらいていくくすぐったさを体感し、「私の大事な人は全員、あたしを置いてったか、死んだの。全員ね…あんた以外は!」というエリーの訴えを受けて「絶対にこの子を一人にしない、したくない」と誓ったのだ。みんなそう誓ってプレイした(と私は思ってる)し、だからこそ道中で沢山の人を殺めていく時に、その人達の人生についてはなるべく考えないようにしてきたと思う。そこに向き合ってしまったら収集がつかなくなるから。あの荒廃した世界に於いて、そんなに沢山の人生に思いを巡らしてしまったら、「負けてしまう」から。

 エリーは、病院に着いたら自分が死ぬ…とは思っていなかったかもしれないけれど、もし面と向かって「ワクチンを作るにはあなたの命を犠牲にしなければならないんです」と告げられたら「わかりました」と言ったんじゃないだろうか。そう取れる描写が2の中にも存在する。
 極端な話世界中の人が感染して自我を失うことがあっても、エリーだけは「そう」ならない。ライリーが言っていた「待ってればいいじゃない、どうせ最後はみんなおかしくなっちゃうんだから」という台詞、エリーの「私はまだ待ってるの」という台詞。でもエリーはどれだけ待ってもおかしくならないのだ。ひとりだけ正気のまま取り残される未来をきっとエリーは想像したことがあるだろう。そしてエリーは、「今まで沢山の人が犠牲になるところを見てきたけど、それが終わるかもしれない。私の免疫で終わりにできるかもしれない」という事実を知っている。旅の途中でテスが死んだことをエリーはずっと気にしていた。"巻き込んだ"という意識が強かったのだと思う。そういう子にとって、「私の存在によって多くの人が生かされる」「終わりに出来る」可能性が示唆されていることがどれだけ救いになったか。自分の存在、自分のこれまでを肯定するための要素になり得たか。
 「ファイアフライはワクチンの開発をやめた」「お前以外にも免疫を持っているやつがいた」というジョエルの言葉が嘘だったことを、2でエリーは知ることになる。その時のエリーの半ば過呼吸のような泣き声。許せないという激昂。自分が死ぬことより辛かったのかもしれない。これまでに死んでいった人の数多の魂を背負いながら生きるよりも、人類の救いとなって自分が死んだほうがまだいいと、私ならそう思う。「(ワクチンを作れていたら)生きた証を…残せたのに」ってエリーの言葉は本心だと思う。
 エリーのために戦ってきたジョエルではあったけれど、厳密には「エリーを失いたくない自分のため」ということであって、その裏には間違いなくサラの死が関わっている。エリーの意思はそこに介在していない。それはやっぱり自分勝手だと思う。

 でも、でもだ。それでも私は「もう一回神様がチャンスをくれたとしても、きっとまた同じことをする」というジョエルの言葉にも、「わかる」と言わざるを得ない。勝手だって分かっていても。

 ずっとジョエルとエリーの話をしていたいけれどそういうわけにもいかない。はっきり言ってしまえば「大切な人を失ったのってジョエルやエリーだけではないんだよ。あなたたちが奪った人生があるんだよ」と叩き込まれていくのが2なのだ。ジョエルが殺してきた数多の人、そしてその周りの人々だって大きな苦しみを腹に抱えている。その中のひとりが2のもうひとりの主人公、ジョエルに父親を殺された女の子、アビーなのである。

 

アビーと接するたびに自分が二人に分裂する

 彼女はジョエルを嬲り殺した張本人であり、おそらく今もっともヘイトを向けられている存在だろう。
 とはいえ彼女にもジョエルを殺した理由というものが存在する。彼女の父親は医師であり、エリーの脳からワクチンを作り出す、その命を受けていた張本人だ。
 1で手術室に横たわる意識のないエリーをいざ連れ出すシーン、手術室の中には3人の医療従事者がいて、そのうち2名の看護師は殺さずに見逃すことが可能だったんだけれど、執刀医だけは殺さなければ先に進むことができなかった。その「どうしても殺さなければならなかった存在」、それがアビーの父親だったなんて、今さら言われても困るんですが…という感じ。でもこの「今更言われても…」っていう感想そのものがめちゃくちゃ勝手だなって自分で思う。
 思い返してみればその時の私は「絶対エリー救うマン」になっていて(そういうジョエルになっていて)、初プレイのときはアビーの父親を火炎放射器で燃やしたと思う。もう殺し方とかどうでもよかった。迷いも後ろめたさも正直なかった。もしもあの時分岐があって、「医師を殺してエリーを助けますか?」「エリーを犠牲にして世界を救いますか?」という選択肢が与えられたとしても、私は絶対にエリーを救う道を選んだと思う。そういう旅路をずっと歩んできたのだから。
 手術の前、狼狽する父にアビーは「もし免疫を持っているのが私だったとしても、パパに手術してほしい」と言う。これ、いいシーンだったんだけど正直すごくいやだった。もしもの話をしたらみんなそう言うよと。私だってそう言う。でも結局あなたも私もエリーじゃないじゃん…と思ってしまう。「じっさいにそうなる」人ではない人が何を言ったってさ…。

 …と思っていたのに、シアトルでの三日間をアビー視点で過ごし、そしてアビーの過去をなぞってしまうとアビーのことを憎みきれない自分があらわれてきた。アビーにはアビーの人生があり、仲間がいて、それが全然「悪人の人生」じゃないものだから。そしてアビーもアビーで、「理屈ではない感情」に翻弄されているひとりであったから。
 旅の途中でアビーにも"守りたい存在"が出来る。レヴとヤーラ。特にレブ。彼らはセラファイトという宗教団体のメンバーであり、アビーが所属しているWLFとは対立関係にある。レブとヤーラがアビーのピンチを救ったことがきっかけで、アビーはWLFに背いてでも彼らを守ろうと奔走することになるのだけれど、ところどころで意図的に「エリーを守ろうとするジョエル」と重なるように描写されている。このあたりが本当にずるい。アビーが見せる親のような優しさを頭では理解できるんだけれど、これを受け入れるということは「ジョエルの仇を討つエリー」の肩を持つことに逆行するにも等しいからだ。
 アビーはとても魅力的なキャラクターだったと思う。フィジカル強いのに高いところが苦手で(かわいい)、仲間の言葉に傷ついて涙する脆さもある。一部ではなんでアビーこんなごっついんだみたいな声があったみたいだけれど、回想シーンで見られる昔のアビーは今より全然華奢だった。彼女を変えたのはジョエルへの復讐心にほかならなくて、彼女が憎しみに身を投じてきた年月が彼女の外見に表れている、それだけだと思う。
 …というように、気づけば私はめっちゃアビーの味方をしてしまうのだ。アビー編をプレイしている間ずっと、自分が二人に分裂していくような苦しさが伴った。

 特に苦しかったのはアビーとエリーがついに邂逅しタイマンの勝負になるところ。この時プレイヤーが操作するのはアビーなのだ。アビーの視点から見るとエリーは完全に敵で、なんならプレイ感は1でエリーとデヴィッドが戦った時のそれに近い。私達はエリーを倒そうとしなければならない。ここ、どうしてもエリーを攻撃したくなくて何度も死んだ。

 

 

ブレないジョエルとブレブレのエリー

 結局アビーとエリーのタイマンは、アビーがエリーにとどめを刺すことをやめて去ることで一旦終了する。舞台は暗転し数年後、ディーナが身ごもっていた子ども(JJ)が生まれ、心機一転ディーナとJJとエリーが三人で暮らしているところに移る。復讐の旅の後だなんて思えないくらい平和な日常が描かれている。
 けれどそんな日常も束の間、エリーがPTSDの発作を起こしてしまう。ジョエルが撲殺されるところのフラッシュバック。その惨さ、見ていられない。やめておけばいいのにまたアビーを追って家を出ようとするエリーに、ディーナが「あんな女が家族より大事なの?」と詰め寄るのだけれど、多分どっちが…とかって軸で考えていないのだ。ただ苦しくて、"今"幸せでも、心の別のところに過去の苦しみがずっと精算されずに残ってしまっていて、その苦しみを抜ける術が分からない。分からないなりに「復讐を遂げたらもしかしたら救われるのかもしれない」という可能性に、すがるしかないのだ。

 再度復讐の旅に出たエリーは、その道程の末にアビーと改めて対峙し、海の浅瀬で戦うことになる。「私は戦わない」と言ったアビーは、復讐の空虚さに多分もう気がついている。
 それでもエリーは自分を止めることができない。波の中で何度もアビーを殴り、水中にアビーを沈めて力を込めるシーンはこちらもとても冷静ではいられない。そんな時にカットインしてくるのが穏やかに微笑む生前のジョエルの姿なのだ。苦しむジョエルの姿に復讐心を煽られてここまで来たのに、そんなエリーを踏みとどまらせたのもジョエルだった。ここで初めてエリーはその手にこもっていた力を抜くことになる。レブと一緒に行けとアビーを逃がし、海にひとりぼっちになる。

 戦いを終えたエリーはディーナと赤ん坊と過ごした家に戻るのだけれど、そこにもう彼らの姿は無い。このディーナの行動を責めることも難しい。子供という守るべき存在ができた今、過去の苦しみに囚われ続けるわけにもいかないというのはよく分かる。
 エリ―は部屋に残されたギターを手に取り、ジョエルに教えてもらった曲を弾こうとする。でもアビーとの戦いで失った指のせいでコードをきちんとたどれず、欠落した旋律しか奏でることができない。何かを悟ったかのようにギターを部屋に残し、一人でエリーは歩き始め、画面外に消えてゆく。ひとつのゲームの終わりとしてあまりにも寂しく、虚しい幕引き。今作、とにかく執拗にギターを弾かせてくるので「この操作いるか…?」って思っていたんだけれど、すべてはこの欠落を体感させるためのものだったのだと分かった時は「製作者、人を苦しめる能力に長けすぎている…」と思った。

 思えば1のジョエルってほとんど迷いなく行動していたので、プレイする側としてはかなりストレスが少なかった。ことエリーを守ることに関しては一切のためらいが無くて、「殺す」「殺す」「絶対殺す」の繰り返し。マーリーンに撃たないでと懇願された時ですらノータイムでバンなのだからすごい。
 そんなジョエルとほぼ真逆と言えるのが2のエリーだった。嘘をついていたジョエルを許せない、でも許したい。アビーを追うことを一旦はやめたのに結局また追い始め、やっと殺せるタイミングが来たのに殺しきれない。ディーナと赤ちゃんとの生活を一時は楽しめていたのに、選び切ることができなくて、結局二人からも選ばれずに一人になってしまう。
 ずっと迷っていてずっとブレているのがエリーだった。それを操作するのだから「振り回されてる」感覚がものすごく強くて、ストレスを感じて当然なのだ。でも、このブレがあったからこそ、1では頭から追いやっていた「自分が今やってることってなんなのか」という疑問に向き合えたのだと思う。
 正直に言えば1をクリアした時に、大きな感動と一緒に「何かを置き去りにしてきた気がする」という気持ちがあった。置き去りにすることでエリーを救えたのだから、その気持ちは回収しようがないことも頭では分かっていた。そんな置き去りにしてきたものを、今度は真っ向からぶつけられたのが2だった。だからだろうか、「結局どうしたらよかったのか」という問いに答えは出なかったのに、プレイ中もクリア後も苦しかったのに、どこかで妙にすっきりしている。

 

 ジョエルが死ぬ前、エリーは酒場でちょっとした揉め事を起こしてしまう。揉めている最中にジョエルが仲裁に入ってくれるのだけれど、エリーは「助けてくれなんて頼んでない!」とブチ切れる。そう言われたあとのジョエルの「わかった」という声、そしてしょんぼりした顔が切なくてたまらない。エリーのこの激昂、思春期の子の立場になって考えてみるとたしかに怒ってもおかしくないのかも…と感じるのだけれど、ジョエルがそのあたりを分かれないのは当然といえば当然なのだ。だって愛娘のサラは思春期にさしかかる前に死んでしまったのだから。初めてなのだ、ジョエルが思春期の(娘同然の)女の子と関わるのは。
 このエリーの複雑な心境の描写は日記からも読み取れる。ジョエルが死んでしまった後、エリーは日記にジョエルの似顔絵を描くのだけれど、その目元だけが何度も何度も描き直されている。もうずっとちゃんと目を見て話せてなかったんだろうな、と感じさせられる。でも「あの人の顔を思い出したい」と思う瞬間が来ることなんて、生きてる間は知りようもない。

 生前のジョエルとの最後の会話。「(ワクチンについて嘘をついたこと)(私を生かしたこと)一生そのことは許せないと思う。でも…許したいとは思ってる」というエリーの言葉。それにジョエルは「それでいい」と返す。その後エリーが「わかった」「じゃあまたね」と言う。またねの先にはジョエルの死がある。
 思い返せば1のラスト。「誓ってよ。さっきファイアフライについて言ってたことは全部本当だって誓って」「誓うよ」という会話の後、エリーが「わかった」と言う。それを踏まえると2でジョエルとの会話の最後が「わかった」なの、すごい…。端々で1と重なるシーンが2は本当に多かった。

 重なると言えば2の回想シーンのひとつに、廃墟になった博物館にジョエルとエリ―が訪れる、というものがあった。これは多くの人にとってハイライトになったエピソードだと思う。展示されたロケットの中に入ったエリ―に、誕生日プレゼントとしてジョエルが渡したのがアポロ号の発射時の録音テープだったこと。「気に入ったか?」「気に入らないわけないでしょ」という会話。ロケットから降りたエリ―に、ジョエルがピンバッジを渡しながら「地球へようこそ」と声をかける粋さ。ボロ泣きの名シーンである。
 パート1の大学のシーンで、エリーが「あたし昔は宇宙飛行士になりたかった。宇宙を独り占めできるから」って言うんだよね。あの博物館でエリーは宇宙に触れたのだ。独り占めじゃなくてそばにはジョエルがいたのだけれど、その方がずっとよかっただろう。

 

 9割が苦しい2において博物館のシーンはほんとうに輝いていて、こんな二人はもう二度と見られないんだと思うと、またむくむくと憎しみが湧いてきてしまう。結局私は誰かひとりの肩を持つことはできないのだ。
 ここまで書いてきて思ったけれど、私は「ジョエルの気持ちもわかる」「エリーの気持ちも分かる」「アビーの気持ちもわかる」って、主要人物みんなに対して「わかる」という気持ちは持っている。でも、正直その誰もが自分本位に動いていて、客観性を著しく欠いている。過去や憎しみに翻弄されて、それぞれがめちゃくちゃな方向に生きている。だから「この人が正しい」とは一度も言えなかったのだ。
 そもそもが荒廃し、生きるか死ぬかの世界。法も無力化した社会で、他人に理解を示しながら理性で自分をコントロールすることがいかに難しいか。

 

「復讐は何も生まない」という理性と、理屈じゃない気持ちのせめぎあい。それに決着をつけるための作品というよりは、このブレの存在そのものに向き合わせるための作品。あれだけ色々なことが起きたのに、なんにもならなかったなと思ってしまう、そのむなしさ。「何も残らない」ことそのものを残す、それが2だったのかなと、私の感想の落とし所はここである。批判があって当然のテーマをここまで描ききってくださった制作陣の方々にほんとうに大きなリスペクトがある。GOTYおめでとうございます。やってよかった。