姿出しってどうなの?から怪人になります、まで

 

 

 

(すべてが個人的な話です)

 

 アソビ大全と重大発表やるよ!という告知のあった土曜当日、私は如く7でお馴染みの横浜にいた。推し劇団の演劇「いつだって可笑しいほど誰もが誰か愛し愛されて第三高等学校(通称:いつ高シリーズ)」の最新作を観るためである。詳細は割愛するけどこの演劇がすごく良くって、上機嫌になった私と同行者は中華街からそのまま歩いて野毛まで赴き、演劇と春日一番に思いを馳せながら立ち飲み屋で何杯か引っ掛けたのだった。
 この時点でけっこうもうご機嫌だった。野毛はそういう飲み屋街なので…。

 

 19時過ぎに家につき、20時に配信開始、初手七並べ(なんで?)、大富豪、ポーカー、Fallguys(配信でガッツリ優勝していくの本当にすごい)、楽しい!重大発表!サンリオ!やっぱりか!すごい!嬉しい!重大発表もう一個ある…もう一個何?!(怖くてモクリつけたらフォロワーが二人入ってきてくれたので一緒に発表を聴く)久々の企画会議画面、企画会議動画大好きなんだよな、背景のホワイトボードにテキストが追加されていき、画面上に映し出された「姿出しってどうなの?」、その文字を見た瞬間

 

ヤーーーーーーーーーーーーーーーーー!!!!!!!!!

 

 マジでこれだった。ヤッターのヤではない。正直なことを言えばもうその瞬間から嫌!!!!!!!!!!!で頭はいっぱいだったし、通話が繋がっているにも関わらず「グウ…グーーーーーーゥゥゥーーーーーーヤーーーーーッグゥーーーーーーヤジャ…ヤジャ………」ってずっと呻いていたと思う。酔ってはいたものの多分シラフでも同じようになっていた。申し訳ないね…。

 

 視覚から入ってくる情報であだこだ騒ぎたくないというのが本音だった。し、動いている彼らを見て思ったことについて、特に誰ともわかり合いたくないし共感もされたくないと思っていた。これは昔からそうなのだけれど、「誰かとわかり合いたい」と「誰ともわかり合いたくない」が同時にあるのだ、自分の中に。

 「人は人」という蘭たんの人生哲学にその通りだよなあと頷きながら、例えばちらっと映った手を見て表立って盛り上がる流れを流せない、モニャり続けるという矛盾があった。本人のことを慮って許容できなかったのではなくて、単に「私が合わないなと感じた」だけである。まったく個人的な感覚なので表立ってなにか言うことはしたくなかったし、言わないことで「人は人」という感覚の均衡を保っていたかったのだと思う。「姿出し」の三文字を見た瞬間に危惧したのはその、自分の中の「人は人」という均衡が今度こそだめになってしまうかもしれないということでもあった。
 お気付きだろうが動揺のあまり、その時の私は「怪人」というところにまで考えが及んでいなかった。ほとんど耳に入っていなかったまであるかもしれない。あったのは「どうしよう、どうなっちゃうんだ~」という狼狽だけで、通話を切ってからも「アーーーーーーー…」という感じであった。情緒が終わっている。

 

 どうしようもなかったので一人になってからひととおり聴き返してみた。聴けば聴くほど不思議な会話だった。脈絡がなさすぎるのだ、「姿出しってどうなの?」から「声だけだと出来ることに限りがある」ここまでは分かりつつ、そこからの「というわけで怪人になります」がなんか聴き逃したかな?というくらい唐突で。フェ?と思っている間に既に動画では各々が考えてきた怪人のプレゼンが始まっていて、正直最後までフェ?だった。
 それでも印象的だったのは、「~~とか、~~とか、~~もできる」「~もやってみたい」とか、男たちの方からどんどん動画のアイデアが出てきているということだった。もうこれだけでやる意味あるじゃんと、すとんと思った。思えた。私が自分本位な感情でいろいろ心配していたことって本当に些末なことで、というか後ろ向きなことであって、この前向きな推進力を聴いてしまったらかんたんに吹き飛ぶなと思った。

 少し前の段で書いた「視覚から入ってくる情報で騒ぎたくないというのが本音だった」を今振り返れば、これの根底には「だって実況者を見ているのだから」という気持ちが少なからずあったと思う。でももう実況者という肩書きを無理やり狭く考えることから抜け出すタイミングなのかもしれない。もしくはそのタイミングはもう来ていたのかもしれない、ナポリテンを経た彼らなのだから。(もちろん、実況だけを見るというスタンスがあってもいい。大前提として見たいものだけ見たらいいと思っている。not for meだと感じたらそこだけ離れる自由が視聴者にはある)
 そういうこちらの考える肩書き、実況者という肩書きをベースにしつつ、その範疇を飛び越えて「なに?!」ということをしてくるのが彼らの面白いところだし、今回の怪人の件(怪人の件?)も実写というインパクトこそあれその一つなのだ、間違いなく。

 

 "見た"後の自分がどういう感想を抱くのか、それ以前にどんな動画を見せられるのか、何もわからないけれど、そもそも「怪人の襲来を待つ」というシチュエーションが既に奇妙で面白いのでドキドキしながら待ちたいと思う。

 

 

 

 

 ここまでが見る前に書いた文です。 
 今は見た後に書いています。

 

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 正直めちゃめちゃ好きな空気感だった

 

 ここまでに書いたさまざまは一体なんだったのか…!

 姿出し(と言っていいのか)の手段としてこれ以上は無いんじゃないのかってくらいナポリに合ってるな…と感じた。というかここまで全身出されたらそこに感想を抱くのって自然なことだなと思う。ダンスがめちゃ暗い これ月イチくらいで見れるのか…。

 実体をモロに見せない姿出しとして今はVtuberが沢山活動をしているけれど、私は彼らも彼らで「自分に合った表現方法」を見つけた人たちなんだなと、その選択にもちゃんと意味があると思っている。その上でナポリの男たちが自分たちなりの表現として怪人を選んだこと、それがバッチリ合ってたこと、選択肢の拡張感が嬉しかった。なにより面白かった。昨日のらん生で「面白いかどうかでやってる」という旨の話をしていて最高だったよね…。

 

 「人は人」という感覚の均衡を保ちながら、私は面白かったですというスタンスで楽しんでいきたい。すごくシンプルな話だったんだなという気付きがあった。面白いを追求する人がいて、たまたまその面白いが自分にとっても面白い、という奇跡を噛み締めながら、これからも楽しめたら素敵だな。