だけどそれくらい。

 

少し前にドキドキ文芸部!をプレイした。クリアしたとは書けない。最後の敵を倒すこと、世界を救うこと、「クリア」にも色々あると思うけれど、ドキ文を「クリアする」ってどういうことを指すのだろうと、つい考えてしまう。

 

以下、超散文的な感想です。
※ネタバレを含みますが、すぎるの2月3日投稿回以降のストーリーには触れていません。

 

 

 

サヨリ、ナツキ、ユリ、モニカが揃い、まだ誰の詩も読んでいない時点で初めに「この子を攻略しよう」と思ったのがユリだった。(超・相対的に見て・超・どちらかといえば)私はサヨリやナツキやモニカと比べたらユリに近い性格なんじゃないかなという気持ちがあって、だから好き、嫌いとか抜きにして「この子を不幸にしたくないな」と思ってしまったのかもしれない。(女の子と恋愛するゲームを初めてやったので、主人公側と女の子側どちらに立てばいいのか迷子になっていた)
ユリに好かれるぞ!という気持ちで挑んだ最初の作詩、この時点では私にはサヨリもナツキも「明るめの子」に見えていたので、この二人のどちらかを攻略したいと思った場合、ポジティブな単語を選択してもどちらが喜ぶか分からなくて難しいだろうな…と感じていた。その点ユリは「ちょっと陰鬱で哲学的なものを選べばいいんだよね」とすぐに察しがついたので、この子を攻略するのは結構かんたんかもしれないな~とまで思うくらい、頭がゆるんでいた。
ゆるんでいたので、何度目かの単語選択で「鬱」をクリックした後画面脇の小さなサヨリがぴょんと跳ねた時は、突然平手打ちされたような衝撃があった。

 

サヨリに何かあるんだなと漸く察した私は、ユリのことを気にかけつつも要所要所でサヨリを注視した方がいい、と思うようになった。
・ナツキみたいないかにもなツンデレの女の子は可愛いんだけどタイプ!というわけでもないし、この子は暗い単語にも反応しなかったので、正直あまり気に留めず。
・ところでモニカはさっきの単語選びのところを見る限り攻略対象ですらなかったけれど、このゲームにおける案内人的な立ち位置なのかな?と考えた。

 ・それなのに最初の詩を読んだ途端私が大好きになってしまったのはナツキだった。

 

〈ナツキの最初の詩〉

Eagles can fly

Monkeys can climb
Crickets can leap

Horses can race
Owls can seek
Cheetahs can run
Eagles can fly
People can try
But that's about it.

ワシは飛べる

サルは登れる
コオロギは飛び跳ねられる
ウマは駆けっこできる
フクロウは見つけられる
チーターは走れる
ワシは飛べる
ヒトは努力できる
だけどそれくらい。

 

・この詩とても、とても好きだな。
「ヒトができること」として最初に思いつくものってなんですか?
少なくとも私は努力ではなかった。この子はここに書くたったひとつに「努力」を選ぶ子なんだという事実、これだけで一気にナツキの人物像に深みを感じませんか?
直前まで「いかにもなツンデレ」って思っていた自分の解像度の低さが恥ずかしい。
(細かいことだけれど最後の行にだけ句点を用いるナツキの感性が日本語に翻訳するときにもきちんと継承されているの、素晴らしい) 

・この詩の「だけどそれくらい。」は詩全体にかかっているともヒトだけにかかっているとも取れるのだけれど、後者かなと思って読んだ。「飛ぶ」は一つの完結した行為だけれど、「努力」ってその前の、過程の話なので。努力しても飛べないことだってある。現に私は飛べない。努力できても何も成せずに終わったりする。「だけどそれくらい。」からはそういう諦念を感じた。
・この詩を見せてくれた後に言った「周りのみんなが上手くいっていたりするとなんだか落ち込んだりする」これは他の部員に比べて技巧的な表現を持たない自分に対する劣等感とも取れる言葉だった。
・それでも「私はガツンと来るのが好きなの」と言ってみせたり、他の部員に比べて自画自賛が多いところに、腐って終わらない強さがある。自分の言動を以て自分を鼓舞していく健気さ。葛藤しながらも自己を肯定できる人は美しい。

 

・一気にナツキのことが好きになってしまったので、ユリの攻略をどうしようか、サヨリのことはどうフォローしていこうか、ひとりに絞って考えることができず以降優柔不断なムーヴを繰り返すことになる。
ユリが気に入りそうな単語を選ばなきゃと思うのにどうしてもサヨリの深淵を覗きたくなってサヨリ基準で選んでみたり、一方で一番読みたいのはナツキの詩だったり。ユリと一冊の本を二人でいちゃいちゃ読んだりしたくせに文化祭の手伝いではナツキを選んだり、サヨリに告白するか本気で迷ったり。自分でも自分がどうしたいのか分からなかった。

・だからサヨリが首を吊った時は、真っ先に「自分の優柔不断さが悪かったんだ」と思った。一周目で一番ヒロインっぽい子を死なせちゃうことがあるんだって。二周目はまずサヨリを守ることを最優先にしないと駄目だなって。

 ・二周目にサヨリはいなかった。

 

ここまで書いてすぎるのドキ文を最新パートまで観たら、ちょうど上のところまで進んでいた。
いや、とても良くないですか?すぎるの実況。良………

抜粋したい言葉は沢山あるのだけれど、最近のものだとサヨリが「私怖いの、すぎる。すごく怖い……すぎるがわたしを好きな気持ち以上に私がすぎるを好きかもしれないってこと」と漏らすくだり。ここって「そんなことないよ、同じくらい好きだよ」とか「いやこっちの方が好きに決まってんじゃん」とか返したくなってしまうところだと思う。相手を安心させようとして。
でもすぎるはここで「これからもデッドヒートしてやっていこうぜそれ そんなもんさあ、日々変わるでしょ!」と返す。釣り合わない時ごと肯定する。相手の愛の重さを否定しない、軽んじない。
ツイートしたこともあるんだけれど、前にすぎるが「ネットに居場所を作ること」についての話をしていて。「リアルの生活がキツいねん。キツくない人ってこの日本中々いないのよ実生活。しんどいの前提やねん。その中でちょっとした支えであり、逃げ道であり、何回救われたか俺、この、すぎるという居場所」と。今回もサヨリに「駆け落ちしよう、北国逃げよう!」って言うんだよね。こういうすぎるの「逃げてもいい」ってスタンス、ほんとに眩しいなって思う。

 

・すぎるが実況を終えた時に、プレイ後の感想のつづき(とすぎるの実況の感想のつづき)を書きたい。未だに着地できずにふわふわしている感情の断片が沢山ある。

 

・このゲームを終えた時、荒川洋治の「詩とことば」という本の中の一文を思い出した。

「詩とは、その言葉で表現した人が、たしかに存在する。たったひとりでも、その人は存在するということ」

 

彼女たちの詩のすべてを「理解」「共感」しようと思って読まなくてもいいということ。たとえすべてを理解できなかったとしても、「この人には世界がこういうふうに見えたんだな」とただ感じること。自分には無い視点で世界を捉えた人が、たった一人、確実にそこに存在していたことを、胸に留めること。忘れないこと。